今日も元気一杯!

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2005年 11月 14日

ホロリ

義母が 亡くなって 19日 色々な 手続きなどもようやく終えて
病院の支払いに行ってきた

 この病院には かれこれ 13年くらいの間に10回以上 入退院をしていたので
顔見知りの看護師さんや ヘルパーさんも多い

 たまたま マタ従兄弟の女医さんが主治医だったのもあり 馴染みが深い

 御礼を持って 挨拶に伺ったら  ”よく 東京からもなんども面倒を見にきてらしたし
大変だったわね” といってもらい

 今までは つらい闘病生活からやっと開放されて
義母は 楽になれてよかった。。という思いが強く 寂しさよりも 達成感というか まだ 初めてのことばかりで 泣くゆとりも なかったのだろうが 義母の闘病生活を ともに支えていただいたという 同士からの 労わりをもらったような気がして 思わず ほろり・・と熱いものがこみ上げてきた。 

 帰り道 兼六園を横目に この坂を何度 車で走ったかしらねえ・・と夫と 話した
多分 もう あまり来ることもないだろう
私の高校3年間もこの道を バスで通った 懐かしい町でもある 
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# by htokuyama3 | 2005-11-14 22:47 | Comments(2)
2005年 11月 13日

韓国の味

白菜の美味しい季節になった 最近 韓国ドラマが気に入って よく見る
そこで キムチを漬けたくなった

 新婚時代の家の近所に 北朝鮮から来たオジさん夫婦に気に入られて よく美味しい本場の焼肉などを夫の出張のときなど ご馳走になった。

 そのおり 美味しいキムチをご馳走になり こんなの食べたことがない!といったら
教えてあげよう・・と本格的なキムチつくりを習った

 材料も 東上野の 朝鮮市場?(朝鮮料理の材料や チマチョゴリ屋さん 焼肉やなどが」集まっている町)に材料を買いに行くところから教えていただき よく作ったことを思い出した

 石川県には そこに使う アミ塩辛や 数種類の唐辛子粉 など なかなか材料の入手が難しいので 関東の友人に材料の入手を頼んだら 築地市場や 他のところなど 3箇所も探しに行ってくれて きょうその材料が届いた

 e0014991_23132384.jpgもつべきものは友人!明日は 分家の叔父さんの畑の白菜をおねだりしよう
美味しいのができたら キムチでお返ししよう・・・

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# by htokuyama3 | 2005-11-13 23:02 | Comments(2)
2005年 11月 01日

後始末 1

人一人がこの世を去るのは 始末をつけることが一杯あるということを知らされた
先ず 死亡届などの葬儀にかかわることは 葬儀社がやってくれたので よくわからないが

健康保険証関係の返還 (義母は 難聴のため 身障者手帳をもらってたので それや 老人保険証なども含む)

 国民年金に関すること どうやら 義父に何がしかの遺族年金が行くらしく 老人ホームに入居した時季が別々だったので 住民票を別々に出した関係から 同じところに入居してても世帯が別だったので 夫婦である証明が必要で 本籍地の戸籍謄本が必要になったり

 銀行口座が凍結されてるため 入院費の身障者の補助金が義父のところに入るにも 同じく 夫婦という証明のため 戸籍謄本が必要。。

現住所は 金沢市の老人ホーム 本籍地は田舎の町役場での証明と いろいろなところに足を運ばねばならない そのうちに 銀行の解約にも今度は 相続権のある人間のハンコが居るらしい。。もっとも 口座には¥700余しかないのだが・・

お葬式がすんだら すぐに することがこのようにあり のんびりしてられない
おまけに 一日 役所回りして帰宅すれば 親戚のものが お線香をあげに来てくれ
その後は 一献。。と酒盛りになる   う~~~~んん 疲れがピークだ~~

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# by htokuyama3 | 2005-11-01 22:03 | Comments(0)
2005年 10月 31日

義母のこと

義母は京都女子大出の 才媛で 結婚するまで 高校の家庭科教師をしてたのが 自慢だったが 勉強と実践は別物で 家事は殆ど苦手だった 几帳面で お料理には必ずメジャースプーンで調味料を量って作った 私が作る料理に いつも ママ美味しいわ。。この塩分は何%?と聞く 私は そんなの適当ですよ・・塩梅 塩梅・・ どっちが若い嫁で どっちが 姑なんだか・・という始末だった
でも几帳面なので 本を見て とても時間をかけて 手編みでセーターや テーブルセンターなどを編むのだが 網目もきっちりとして 数は少ないが 孫に 編みぐるみや クッションなどを編んでくれたが そういうものは上手だった。

息子3人で娘が居なかったのと 長男の嫁は家の者という気持ちなので 私には甘えっぱなしだった。

あるとき ”子供も男 女 2人出来たから(私の子供のこと) これからは嫁として 田舎で暮らして欲しい” という ”パパはどうするんですか?” と聞くと ”あの子は一人でも大丈夫だから ママは子供とこちらで暮らして欲しい”と言うのです ”どうして?” というと ”私はお父さんだけの妻で居たいから” ”あら いまでも お父さんだけの妻でしょう? 高橋宣子さんのように 国連大使ならともかく いまもこれからも 主婦じゃ有りませんか?”というと  ”主婦はもう嫌なのよ。。”と
そんなことを 本気で言う 可愛いお母さんでした。
勿論 その件は お断りしたけれど ホンワカした思い出です。

結婚して 東京で暮らし 戦争で田舎に戻り 姑に仕え 戦後は 農地解放で贅沢な暮らしを出来なくなり 以来 心の病ともお付き合いして あまり笑顔を見たことがなかったけれど

 最後は 本当に幸せな時間を ちゃんと神様や仏様は与えてくださるのですね 終わりよければ全て良し。。と言う言葉が実感の 義母の終焉の時だった 色んな我が儘も今は 懐かしく 愛おしくて 小説が数冊書けるような思い出が一杯だけれど 嫁姑 良い関係で終れて 良かったですね御義母さん。。

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# by htokuyama3 | 2005-10-31 21:58 | Comments(0)
2005年 10月 31日

お葬式の翌日

娘夫婦と 長男が 午前中 あとかたずけを手伝ってくれた

家中 大きな家具や置物を 移動したが その時は 班の男の人や親戚の人がたくさん居たが
葬儀の翌日は 誰も居ない 49日まで エレクトーンや サイドボードなどはそのままにしておくことにしたが 玄関においてあった 秋吉台の 鍾乳石の石筍などは重くて夫や私は無理!それと 廊下のソファの4点セットは 車庫に移動したので それらを 若者に頼む

 10時半 息子 娘夫婦は 帰宅して 今度は お寺にお布施をもってお礼に伺う
かなりの金額だ そして 49日の相談や 七日ごとのお参りの時間などの打ち合わせ

色んなところへの支払い 銀行に 香典を預けるなど まだまだすることが一杯ある

漏れはないか?受納係りの人が 香典帳に記入してくれなかったので控えをみて 書き込む
ご近所 親戚 弟たちの仕事関係 息子の仕事関係  夫は5年前に 東京の本社を退職したので夫に関する 仕事関係はない あっさりしたものであるが 気楽でもある ふと気が付いたら 亡くなってもう5日になる 時間の経つのの 早いこと・・
風邪と寝不足で 鼻水だらだら くしゃみはでるし 体調最悪 流石に テレビも見ないで
ベッドに入るや否や 爆睡する

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# by htokuyama3 | 2005-10-31 18:57 | Comments(0)
2005年 10月 30日

別れのとき

昨夜のお通夜も たくさんの方が 義母のために お参りしてくださったが
すっきりとした 秋晴れの今日は 町長さんや 親戚の 隣の元市長 県議 町議さんなどや 近所のかたがたなど 4部屋と広い廊下などに 入りきれない多くの人が 義母を見送りに来て下さった

お坊さんは5人 私の親戚が他に3人 お坊さんなのだが わざと 衣を着ないで 洋服で一般席にお参りに来てくれた 衣を着てくれば 僧侶として 招待せねばならず 香典をもらっても
お布施をせねばならないので 気を利かせてくれた

私も夫もいい年をしてても お葬式 まして 田舎の 真宗大国と 言われる 能登の信仰厚い土地の 習慣など 都会に居ると 全くご縁がないので ?マークが しょっちゅう 頭の中で 点滅する 今回は 本当に 勉強になった

 病気がちで 老人会や 仏教婦人会などに属していなかったので 弔辞を読んでもらえない義母の為に 夫が 娘に おばあちゃんへ。。という 題の手紙を 弔辞として 読むように計らった

  9人の孫の 紅一点の娘の読む 弔辞は 意外性もあり 好評だったようだ。
きっと 義母は喜んでくれたことだろう

 火葬場で お骨になった 義母は 骨粗しょう症なので スポンジのような お骨だった
一年前に 大たい骨骨折の折 入れた 太い金属が そのまま 残っていた生前は いろいろ病気に苦しめられていらしたので ようやく苦しみから解放されたという気持ちが 私の中に強くあるので よかったねえ ようやく 楽になって。。という 気分のほうが強くて 何故か 涙が出ない  

火葬場から帰り 中陰(初七日)の法要が行われた 住職の読経のとき 最前列の義弟2人と私と夫 長男が 並んで座ったのだが 初めに 長男が 器用にも 座ったまま いびきをかいた 隣の夫を見ると こっくりこっくり 舟をこいでる 私といえば ようやく緊張も解け やたら眠くて あくびの連発 そのたびに 涙が出て ハンカチでぬぐう始末・・・

  不謹慎と言われそうだが それだけ 疲労困憊していた

 その後も 中陰の会食 それから お手伝いの方への ご苦労様会 これは 段払い(漢字は定かではないが・・) 家族と義弟夫婦で 感謝を込めて お酌しお礼をいう 勿論 仕出しを取った(普通 お手伝いの人たちがその料理も作るのだが お疲れだし申し訳ないので我が家では仕出しで済ませた)お礼の品などを差し上げて 終わり

 全てが終わり 皆さんが帰られたのが 夕方6時 義弟たちも帰り 次男も名古屋在住の甥夫婦の車に同乗して帰っていった。
娘夫婦と長男が残り 長い長い一日は達成感と寝不足とで 考える暇もなく終わった

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# by htokuyama3 | 2005-10-30 21:24 | Comments(0)
2005年 10月 29日

御通夜

猫の首に鈴。。義父に 義母の死を伝える役は 3男に決定し 日帰りでつれてくることにする 家の中は 手伝いの人20人家族親族がたくさんいて 次々と 弔問を受けたり 葬儀社さんや近所の人からの 問い合わせの受け答えも 夫と私・・目が回りそう
義父は 気力が低下し 結局来なかった ショックなのだろうが 世話をしなくていいのでホッとする。
夕方 濃い親族がそろい 納棺 その時 久しぶりに和服を着たせいか 寝不足なのか 気分が悪くなり後ろに移り 座り込んでしまった 貧血を起こしたようだった でも夕食を食べたら元気が出た 私らしいと一人で笑ってしまった。 メニュウは 精進の炊き合わせ なめこと豆腐のお澄まし 芋茎の酢の物 漬物 

7時から 御通夜 お通夜の後は 親戚のものがそれぞれ 広間 中の間 仏間 居間で 輪になり お酒を飲み 久しぶりの親戚の集いで 盛り上がってる

義母の孫9人とその連れ合い2人の孫11人も 楽しげだ 義母は 大往生だったので 悲しみより みんな 良かった良かったという気分なので 和やかで良い感じのお通夜だ 一晩中夜伽をせねばならないのだが 孫たちが3人組になり交替でしてくれて 12時から私と夫は4日ぶりにベッドで漠睡した。
皆が来てくれて 本当に良いお通夜だった
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# by htokuyama3 | 2005-10-29 22:02 | Comments(0)
2005年 10月 28日

お葬式の準備

朝9時に 班の人たちが 集まる 男性の役割 女性人の まかないの親方を決める
それらは 家族は一切口出し無用で 近所の親戚は単なるお手伝いだ

まかないのトップは 私が心の中で お願いしたいと思っていた人だったので とても嬉しい班の人たちは明日のお通夜の朝からいっせいに来てくださる

 次々と親戚が近くや遠くから お見えになる 近所の親戚は すぐに 畑から たくさんの野菜の差し入れを持ってきてくれ 女の人は親戚の食事を作ってくれる 男の人は 庭の草刈などをする とにかく目に触れるところは あっという間に 雑草などが 丸裸・・・

 玄関の置物 外の温室 全て移動だ 皆 葬儀社のプロのように 淡々と片ずけていく

 お坊様用の 茶器を出したり 家族親族お手伝いの人用の 約60人前の 食器を蔵から出す

親戚の泊り客用の部屋と布団の準備などなど まるで 一日中運動会のように動き回る

御通夜のための 色無地の着物 お葬式の喪服の用意など自身のこともしないといけないセレモニーホールなら ずいぶん楽なのにと思うが 田舎はこれは大切な儀式 またこんな祭りごとで 人間関係の和が作られるので 郷に入れば郷に従い が大切だそうな・・

夕方 埼玉の娘夫婦 名古屋の次男到着 長男は昨夜遅く 徳島の出張先から車を飛ばし着てくれ 家族がそろう 長男と娘が着てくれると 何かと心強い

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# by htokuyama3 | 2005-10-28 11:14 | Comments(0)
2005年 10月 27日

遺体搬送 なつかしの我が家に

義母が 亡くなるかも・・という思いはここ1ヶ月 ずっと分かっていて 台所や仏間など大きなものは 片ずけていたのに 今日 急に。。との思いは沸かなかった私達

すぐに 遺体運搬の車の手配は 義父がセレモニーの会社に 掛け金を預けて有ったのでそこに決定 義弟たちは 我が家に来る準備があり一旦家に帰ってからくると言うし 夫はうちのクルマに乗ると訳のわからぬことをいう   遺体に付き添わなきゃ!というと え~~~!!と 子供のようだ 私は 先に家に帰り 遺体安置の部屋を用意しないといけないのに

その部屋には 先日息子が泊った布団やテーブル 夫の普段着の衣桁などが 散乱してる遺体を寝かせる 布団も用意しないといけない。。こんな時に 家族が多いといいのにすべて二人でしないといけない

5時半に車をといってたのに予定より20分も早く着てしまい 私が出る時に一緒になってしまう 信号待ちのとき夫が途中のパーキングエリアで時間つぶしをするという

 夕方の有料道路 安全運転を心がけ 120キロでぶっ飛ばす・・

途中 分家の人に連絡 お寺に連絡 枕経を上げてもらわねば・・分家の奥さんに手伝いを頼むも たまたま 用事で留守 さあ大変 火事場のくそ力 帰宅後は 家の中を走ること走ること
15分後 遺体到着
お寺に電話すると 迎えの車を。。とのこと そこに分家の爺ちゃんが来て 迎えだって??というと この場合は 迎えに行くものだそうな ”米2升を持って お迎えに行くとかでおらが行ってくるから”   こんなとき 本家 分家の関係がものをいう  ありがたい!
次々と 義弟夫婦 分家夫婦 町内の親戚に連絡し 葬式について相談する
班で葬式をするのがしきたりなので 班長さん その隣の区長さんに電話するが どちらも 出張と旅行で 打ち合わせ不能・・・カクシテ 超大変な 義母のお葬式もろもろの始まりだ・・・
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# by htokuyama3 | 2005-10-27 10:53 | Comments(0)
2005年 10月 27日

義母死す

8時過ぎに 看病を交代する 耳の遠い義母なのに 先生は 人間は死ぬまで 意識不明でも 耳は聞こえますから 呼びかけてあげてください  と言われる 不思議だ

今死ぬかも と言う状態でも 時々 床ずれ予防の 体位変更には 驚く
おむつ交換するので 廊下に出てくださいといわれ ホールで 韓国ドラマを見ていると
夫が呼びにきた 

急に呼吸が変になり 主治医も来られ 危ないです。。という
”義弟たちを呼びましょうか?”という 私に ”間に合わないかも?” 大急ぎで 連絡する
こんな時に 携帯電話は便利だと 冷静に思う自分に驚く 

 呼びかけてくださいとのことで”オカアサン 頑張って! お袋頑張れ~”そのうち 2組の義弟夫婦が来る
みんなの呼びかけで 再び回復 中でも 私の呼びかけが一番効果があると言うので
心電図や心拍数が落ちると 何度も繰り返す10時40分に 最初の危機が訪れて 30分ごとから20分 10分 と何度も 主治医は臨終を見届けるべく 枕元にたたれる

最初は ゴム製の風船のようなもので肺に空気を送ったり 時には 道子さん息をして!との看護師さんの呼びかけに 呼吸を再開したり・・・

午後になり 急に静かに落着き 2人の義妹は後ろ髪を引かれながら 仕事場にこれからの段取りのため 病室を離れる

あと1.2日 こんな状態かも?と言いながら 私は末弟と雑談をしてたら 急に本当に急に
義母が 呼吸停止 まさに 心肺停止した でも ここ2週間はずっと 呼吸が苦しくて
良くぞこんなまでに 細い身体で 頑張れるのだろう?と言う状態だったので
最後の2.3分のあっけなかったことったら無い!
義妹たちは ほんの1時間前までそばに居たのに 臨終に立ち会えなくて残念だった
でも 体中につないであったたくさんの医療器材を取った義母の顔は 一瞬にして死に顔に変わり ようやく 楽になれたね。。と思った。

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# by htokuyama3 | 2005-10-27 10:21 | Comments(0)